おしろ宮殿

一寸一杯お気軽に

BUCK-TICK、あっちゃん

昨日、あまり眠れなくて朝8時にこれを書いています。

バクチク現象、すごいライブだった。
凡人なら「まだ、終わらない」がせいぜいであろう所「さあ、始めよう」と掲げたライブを、BUCK-TICKならやってくれるだろうという期待と、同じくらいどうなっちゃうんだろう…という不安がごちゃ混ぜになった気持ちで迎えた当日。
終わってみれば本当に"バクチク現象"と言う他ない、そのものなライブだった。
こんなバンドは他には絶対にいない。

生々しい、ありのままの、力強いライブだったと思う。
あっちゃんの抜けた穴はそこにぽかんと空いていた。
あっちゃんの愛を感じられるライブだったけれど、同時にあっちゃんがもうステージにいないことをまざまざと感じさせられた。

もっと最初からあっちゃんの映像をフルで使って、追悼色の強い感動的な演出にすることも出来たと思う。だけど1曲目の疾風のブレードランナーで、あっちゃんの映像は出てこなかった。メンバーの姿を同時に映すために分割された画面の真ん中は、真っ暗だった。衝撃を受けた。
あっちゃんの歌声は聞こえるけど、それは武道館の極悪の音響環境から同期された歌で、いつもの生命力に満ち溢れた聴く度に迫力を増すあの歌声ではなかった。
マイクスタンドや仮面等のアイテムを置くみたいな演出もされず、ただ照明だけが照らすセンターは空白だった。

その代わりと言っていいのか、曲が始まる瞬間、ステージの巨大なスクリーンに等身大の小さなあっちゃんのシルエットが数秒だけ投影されて、あっちゃんはいないけど、いるんだ、と一瞬にしてわからされた。
イロモネアならぬナキモネアがあったら観客のワイプ全てがその瞬間にバンバンバーン!とシャッター降りたんじゃないかというくらい、自分を含めた周囲の客全員が一斉に本当に「おええええっ」ってくらい嗚咽しはじめて、ちょっと待って無理無理、あっちゃんこれはないよ〜〜!ヘルプ!!って感じで悲しみが一周して少し笑ってしまった。

形として確かに失ってしまったものがあること、だけど魂の部分では少しも損なわれるものはないんだということ、その両方を演出で誤魔化さずBUCK-TICKにしかできない姿勢で見せてくれたライブだった。
まだ終わらない、前に進むんだという意思表示の場。
これ今どういう状況??と問われれば「バクチク現象だね」と返すしかない光景だった。

あっちゃんがいないことに足が震えても、同時にそこにはまだ燃え立つ4人のメンバーが輝いてもがいていて、不安や悲しみを真正面から認めながら、それを上回るパワーと愛で推進するB-T TRAINにインドの通勤風景の様に武道館の1万人が飛び乗った夜だったよ。

最後には、百鬼夜行もパレードも永遠に続くんだとよくわかった。参加できて本当によかった。

BUCK-TICKには決まったロゴがない。新作が出る度変わるロゴはバンドの姿勢を体現している様で誇らしかった。
そのロゴの様に、ああ、これもBUCK-TICKなのだなと思った。
エンドロールでデビューから今日までの映像がコラージュされて流れる中、画面に出てくる文字は"BUCK-TICK"だけだった。次々流れてくる力強い、様々な"BUCK-TICK"のロゴタイポグラフィに、今日訴えかけたいことはそれだけなんだと感じた。
この過酷な状況もBUCK-TICKで、でもBUCK-TICKは終わらないんだという。BUCK-TICKはバンドであると同時に、メンバーやファンの魂であり愛であり、未来へ推進する力そのものなのだと。

メンバー一人一人のコメントはこちらのスポーツ報知(スポーツ報知!?ってなったけど本当に有難うございます)に一語一句載っているのでここで書き起こすことはしないけど、長いことファンやっていて今井さんやヒデがあんなに長く喋った所をはじめて見聞きしたよ!

ゆうたの実直で誠実な、あっちゃんとバンドのことを本当にただ大切にしていることが伝わってくる言葉たち。
1人でもメンバーが欠けたら終わりにするとかつて言っていたアニイから、今井さんやヒデの頭の中にある曲をこれからも発表するとしっかり言って貰えた安心感。そして"お兄ちゃん"としての言葉。それが震えていたよ、なんとか、力になりたいと思ってしまった。

ヒデはこういう時何を喋るの!?とドキドキしていたら、"不安だったよね"と優しさ自然体で目下B-Tのイケオジ担当として多数の婦女子を料理しているだけある流石の言葉で、んも〜〜となった。ありがとうございます。

今井さんの言葉は…今井寿、なんたる太陽。
悲しみで曇った我々の目を覚ましてくれる様な言葉、残酷だけどとてつもなく力強く、絶対についていこうと思わせてくれる言葉。メンバーはこれからも肉体の死を迎え減っていくけど、最後の一人になるまでやるって、そんなこと言える人が他にいるのか。
容赦ない現実をぼかさないと同時に、永遠という希望を形にもしてくれるんだよ。

ゆうたが「あっちゃんは天国に行ったけど」と言ったすぐ後に「あっちゃんはまだ天国には行っていません、この辺にいます」と被せてくるところ、今井さんらしくて最高だったな。
今井さん一人になったBUCK-TICKを見届けるまで私も生きなければと思うよね、そりゃ。

それにしても、目の前の光景に集中していつも以上に1曲1曲を大切に聴いてあらためて驚いたのだけど、BUCK-TICK、曲が良すぎない??
これまで当たり前の様に与えられてきた楽曲の全てが、なんと美しく格好よく優れた音楽なんだ!!ということに仰天してしまった。
「さくら」、この世で一番美しい曲なのではないか?

同様に、奇跡に慣れるなんてしょうがねぇぜまったく…って感じなんだけど、改めて自分がどんな奇跡を見てきたのかを再確認させられました、あっちゃんは美しすぎる。
しかも近年になればなるほど表現力の凄みや覚悟が増してさらにさらに美しい、顔がきれいとかそんなレベルのことを言ってるんじゃあないんだよこっちは。

ステージ上にいる4人のメンバーの魅力もあらためて感じた。
リズム隊兄弟の屋台骨感も、どう考えても異常にかっこいいツインギター2人も。大輪の花であるあっちゃんが姿を眩ましても、層が厚いというか…誰一人欠けてもいけない全員が魅力的なバンドなのに、誰が欠けても終わることがないって、なんだそりゃ。

ライブの感想は大体そんな感じです。
勢いで書いたけど、やっと言葉にできてよかった。
もっと早く何か書きたかったのだけど、なんやかんや無理だったので。

以下は自分語りです。

あっちゃんは私にとって道標でした。
小学6年生の時分に出会ってからすっかり中年になるまで、この数十年間、親よりも影響を受けた人だと間違いなく言える、憧れ、希望、やすらぎ、美、刺激、カタルシス…あらゆる感覚を作ってくれた人であり、与えてくれた人であり、烏滸がましいけれど私もこうなりたいというか、いや、この人のファンであって恥じない様に生きようと思える、良心とも言える存在だった。
もちろん悪徳も、狂気も、エロスも、そういう人生に欠かせない嗜みも全てあっちゃんから学びました。

傷心する私を心配して集まってくれた高校時代からの友達が「お前が心を失ったから来た」と言ってくれて、ああそうだな、あっちゃんは私の心だったんだなと思った。

常日頃から、人間は必ず死ぬというのに死んだ瞬間から"可哀想な人、悲しみの象徴"みたいに扱われるのは、生きてきた時間が上書きされてしまって不条理ではないか?意味のないことではないか?と言ってきたのだけど。
昨晩あらためて今井さんに「いなくなってしまったことより、生きていたことを大事にしてください」と言われて、私はこれからもあっちゃんに貰った愛に応える人生を送るんだと心を決めたけど(この言い方は、敬愛する石井さん、あっちゃんも大好きだったはずの石井さんの言葉です)、だけどやっぱもう、悲しみに押しつぶされた2ヶ月ちょっとでしたね。

だけどこれからは、あっちゃんと過ごせた数十年間の幸福、齎してくれた愛と芸術について考えていきたい。十分に幸せだったよ。これからも幸せであり続けたい。
あっちゃんの生と死は完成したのだと思うし、それを私たちがどうこうすることはできない。
結局のところ、今日まで私が泣いてきた理由のほとんどは「あっちゃんのいない今後の人生どうすんだよ」という個人的な問題であって、寂しくて心細くてやってらんない、というワガママでもあったと思う。
この個人的課題については、私の生が続く限り私が勝手に乗り越えていくしかないし、不思議な構造なのだけど、その時にきっと導いてくれるのは、これまであっちゃんが歌ってきた"生と死"や"残された側、送る側の想い"の歌だろう。

あっちゃん自身が常に死と向き合いそして死に魅せられていたであろう人なのに、私たちはこんなに少しも美しくなくただ狼狽えるばかりですが、人間は喪失感や悲しみを時間とともに忘れてしまう生き物だし、あっちゃんはもうステージには立ってくれないけれど、それでもあっちゃんから貰ったものは少しも傷付かず、これからも私の道標だし、きっと新しい発見もあると思う。

愛だけがそこにある。あっちゃんありがとう。